Ohana〜ひとり・スローライフを愉しもうよ

Ohanaの暮らし♡いつもおもろくエレガンス

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在宅ひとり〇毎月のお値段

義母(私が高校2年生のときに来た母)の四十九日の法要で東京に行って来ました。





私にモラハラをしていた父が亡くなり
そのモラハラを引き継いだ義母が亡くなり
苦しみの根源はなくなるかな、、と思いたかったが
ふたりが私をこき下ろすかわりに持ち上げていた妹。
妹に罪はないのだと分かってはいても
人生のいちばん辛いときに助けてくれなかったことや
いつのまにか妹だけ義母と養子縁組していたことなど、、
嫌悪感がまだ心の奥底にくすぶっていたんだわ。





父が亡くなったあと義母は妹とだけ養子縁組をして
介護を任せた。
私へは妹から「養子縁組したから」と事後報告があったのみ。
そしてそれ以降実家の様子や義母の様子、
どんな介護をしていてどんな状態なのか
妹は口を濁らせてなにも教えてくれなかった。
むしろ私は介護をする妹の影の力になろうと思っていたのに。





この妹とのなんとも言えない状況と
2度目の離婚、乳がんの闘病すべてが重なったとき
息子が「広島に来んさい!」と声をかけてくれての
今の広島暮らしがあります。





でも今回自分の気持ちを押し殺して(そのときはそんな意識はなくごく当たり前に)
ここ4年介護をしてきた妹と
フォローしてくれていたダンナさんに
「ありがとうございました、お疲れ様でした」
とおとなな対応をしていた。
かなり無理していたんだろうな私。
疲れた。





昨夜遅く疲れた身体をやっとの思いで引きずって帰ってきて
熱を計ると39.0度ありました。
出かける前夜、木曜日晩から熱があるだろうなと思っていましたが
東京に行かないわけにはいかなく(飛行機を息子が予約しチケット買ってくれていた)
ずっと熱を計らずにすごしてました。
何度か解熱剤のみながら。





そんな旅だったから
文庫本やカメラや思いを書き散らすスケッチブックに万年筆と
色々持っていきましたが
どれも使用できず。。
娘の家に泊まりましたが
孫の写真すら1枚も撮りませんでした。




あのとき息子が「広島に来んさい!」と言ってくれたひとことは
神。
私はこのブログの始まりのような生活、
毎日息子の住む尾道を歩いて歩いて
病んだ心と身体を回復させる生活をスタートさせることができました。




あのまま頑張って実家や義母の介護にこだわって
東京くらし続けていたら本当に私は壊れていただろう。




義母は在宅ひとり死。
とにかく家で死ぬことにこだわっていたようです。
半年ほど前からはベッド横に置いてあるポータブルトイレへの移動も出来なくなり
座っている体を支えることも難しくなり
寝たきり生活だった。
深夜から明け方にかけてひとり看取られることなく亡くなっていた。
朝来た介護サービスの方に発見されたそうです。
妹は約50分かけて週2回実家へ通い。
それ以外は介護保険をめいいっぱい使って
在宅介護サービスを受けていたという。
在宅ひとり死のお値段は1か月10万円で
義母の年金でまかなえていたそうである。
10万円の内訳は5万円が介護サービスや在宅診療などにかかる費用。
4万円が生活費。1万円は妹が交通費としてもらっていたそう。




こんな大切なことを私は4年間まったく知らされずに過ごしていました。





今朝熱も下がりお風呂にゆっくり入って
冷凍してあった餃子を食べました。
お家ごはんがいちばんしあわせ。





うちのお寺さんの掲示板。
いかんいかん、恨みつらみ言ってても
自分もひとも幸せにできない。
これからの人生は特に
ひとにしあわせを与えることを実践しようと決めたはずの私です。




ケセラセラ♡
今を愉しく生きていることに感謝
明日も愉しくねっ!!!